まずはやってみない教育界

非常に良い指摘と不思議価値観。
http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20080927/1222446205


>「まずはやってみなはれ」でやっている。

「まずはやってみなはれ」といくら言ってもやらないのが教育界であって、じゃあお上主導でやるから文句言うな、になるのは当然というか・・・ま、「やってみる」にも学校の予算や権限や「異常なまでの外圧」があって、ちょっと独走してみた和田中とかひどい目にあってるが。そんな感じで「やってみる」のが難しいのだからお上がやるしかないような。
出てくる大義名分なんてのは半分対外向けに作られたものなんだから細部に突っ込む意味もなし。文科省内部の話やら決定プロセスとかは問題視してもいいとおもうが。問題視というか、具体的にどういう人らがどういうプロセス経てこういうこと決めるべき、みたいな話であればだが。社員視点で社長談話にケチつけても届かないので、まずは実弾撃てる足場作ったほうがいいんじゃないのかね。


>議論をすることは何もしないことと同じだと言われそうだけど,指摘されている問題をクリアすることなく拙速な実施を黙認することの方が問題だと思う。

で、現状に問題があるが「指摘されている対策の問題より時間優先で実施」と「指摘されている対策の問題点がすべてクリアするまで議論を永遠に続ける」のを比較して、後者のほうが良いってんだから、非常に教育界的というか。「問題を一切起こさずにシステムを変化させる」のが不可能だという実感はないのかなぁ。


「完璧な議論を」はきっと永遠に終了しないことを要求していて、事実上の単なる中止要望の婉曲表現。「議論が足りない」はあらゆる事物に対して常に言えることなので批判にならない。突っ込むのはそこの量じゃなくて、例えば「次回は決定プロセスにおいて現場教員の意見を聞くなどを盛り込むべくいかに働きかけるか」とかは意味があるかもしれない。
個人的には内部反乱組織対策のために画一化が過ぎて学校単位での自主性がそがれすぎてるのと、同理由で公式に現場の意見が直接採用されることは難しいあたりが改善されると良いと思うんだが、現状の手法では10年はかかりそう。


ちなみに上の「異常なまでの外圧」とは「あらゆる問題が解決するまで議論を続けろ」「僅かでも問題があればすべて学校の責任であり二度とやってはいけない」といった論調の外野とか内部の反対派だったりする。一部の教育Blogとか。
試行錯誤禁止ってのは教育でなかったとしてもかなりハードな縛りプレイだと思うんだけどなぁ。問題を起こさないために運営してるのか、教育のために運営してるのかわかんなくなってきてるな。文科省批判してる間に学校や現場の努力だけでさくっとそのあたり解決してみて欲しいね。