日教組の信頼は回復可能か?

例によってそこいらの教育関係者ぽいblogを辿ってて思ったのだが、やはりというか、日教組や中山氏の発言に対する感情が根深い。


一例としてこのあたり。
http://ejwatanabe.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-5fa9.html
http://ejwatanabe.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-fc7c.html
部分部分では筋が通っているのだが、という主張の理屈を辿る例の1つとして。


まず、日教組に対するイメージが各blog主によってずいぶん違う。例えば、まともに見える日教組の知人を持つ人とか、過去の前例を元に日教組といえば暗黒面という発想の人とか、関係者でもいろいろ。
少なくとも外部から見たこれまでの日教組の行いからすれば、「日教組=オウム真理教」みたいなイメージなので、いまさら昨今の日教組文科省と仲良しですよとか言われたところで信用できるはずも無く、未だものすごい発想の教師が存在している事例が出た時点で真っ黒認定って考え方になると思うのだが、そうでもないですよとフォロー入れてるblogが結構あるあたりが興味深い対象群である。やはり現場に近い方が多様性がある。少なくとも昨今の日教組が一枚板ではないのは確かなようだ。


で、例えば上のblogでは、「日教組の意見だからといって無視せず50%くらいは取り入れるよう妥協するのが建設的というもの。ただし日教組批判するような大臣の意見は100%聞くべきではない」という素敵ジャスティスで、似たような意見のblogもいくつか。憲法に書いてあるからという理由付けがされてるので日教組については多少後ろ暗いところもあるようだ。これが部外者になると「中山氏の発言にも理由があるのだろうから皆でよく考えるのが建設的。ただし日教組のトンデモ教師の言うことは聞く価値なし」になるので非常に対照的といえる。要するに一部の教育思想を守りたいか破棄させたいかというスタンスの違いと考えると分りやすいものが多い。


あと、どうも対象群で似通ってるのは、理想の教育を各人進めるべきで他者の意見に流されるべきではない(組合の意見は除く)といった思想のようだ。おかげで、xxという具体的教育例は問題なのでxxすべきだ、という批判や提案はかなり少なくて、現場に対する批判や他者の教育思想に対する反論、又は「子供のための教育を」という言葉に代表されるところの「要するにあなたの意見は子供のためにならないと私が判断したので従うつもりは一切無い」という宣言が目立つ。多くの日教組批判は、あのような問題を招いた組織や思想のあり方を問うているのだが、「そんなことよりは目先の子供が大切」でありそれは自分の思想に基づいて行われるということらしい。


ま、主にそういう人がわざわざblog書いてるんじゃないのか?というありがちな結果でもあるがそれはそれとして(笑)


推測になるが、たぶんこれら教職員側の背景としては
・現段階で教育を安易に明文化することが不可能であり、文科省であれ部外者であれあらゆる指令や意見は正確に届かない
・長年立場を弱体化させてきたために、現場を見ずにあれこれ無茶な注文つける一群の声が大きく聞こえてしまう
・何故か期待や責任が膨れ上がってるらしいが、自分では具体的で確実なやり方が思い浮かばない
といったことがありそう。
結構ごちゃごちゃ言われ始めて長いにもかかわらずさっぱりこんなのは、現在のnetだののメディアでは伝達しにくい部分が多すぎるのだろう。


このあたりは面白いのでまたしばらくウォッチしてみたい。